戻ってきた日本文化

ゆかり

戻ってきた日本文化
10月になると日本列島は比較的安定した天候に恵まれるようになります。湿度も低くなり過ごしやすくなった秋の美しい日に神社にお参りすると、写真のような光景によく出会います。着飾った幼い子供達と若いご両親、それにおじいちゃんやおばあちゃんも含め、本当に幸せそうに七五三参りをしている姿は微笑ましく、日本は高度成長期にややもすると忘れそうになっていた美しい文化を、経済成長が停滞している今、取り戻そうとしているのではないかと感じられるのです。これは決して皮肉や偶然ではなく、人はまっしぐらに前進するときには過去や故郷など「母なるもの」を忘れがちなものなのではないでしょうか。そして、傷ついたりしくじったり、思うようにいかなかった時に自分を育んでくれた大地を思い出す。現代の日本社会はそんな「傷つく世代」になっていて大切な「ふるさと」に立ち帰ろうとしている、そう思えてしかたありません。

子育てを楽しむブーム
少子化も原因の一つでしょうが、子供は「できちゃう」ものから「授かる」ものに変わってきました。アイドルたちが次々とママになり、楽しい子育て日記をインターネットで公開することが日常化し、子育ては今やステータスになっています。命名式、お食い初め、お宮参り、一升餅...など、30年前には死語になりかけていた古典儀礼が、びっくりするほど華やかに復活しています。やや行き過ぎの感をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、振り子は大きく振れるもの。一度忘れ去られそうになった子供の「成長儀礼」は今大きな反動を伴って思い出されようとしていると考えたいと思います。せっかく授かった赤ちゃん、一生に数度しかない子育てを徹底して楽しむ。女で、結婚して、子供を授かって、といくつもの条件をクリアしたご褒美としての子育て。まだ若く、資金も豊かなおじいちゃんおばあちゃんから見ても「数少ない孫」と楽しむ時間は人生最高のひとときです。また、未婚率の高い30代の特に働く女性たちは、姪っ子や甥っ子を自分の子供のように可愛がる環境ができあがっていて、今や子供が一人生まれると数人の大人が寄ってたかってその命の華やぎから幸せをもらっているようです。

七五三は案外新しいセレモニー
日本社会が成長の過渡期に来ていて、少し懐古的になっていること。子育てが「たいへんなもの」から「おしゃれなもの」に変わってきていること。その二つの大きなうねりの中で復活モードの七五三ですが、「古典儀礼」というものの、そうそう古い歴史を持っているわけではなさそうです。
3歳、5歳、7歳の祝いをセットにして「七五三」と言うようになったのは、江戸時代中期、18世紀後半です。たかだか200数十年の歴史しかありません。3歳男女が「髪置き」、5歳男児が「袴着」、7歳女児が「帯解き」の祝いと呼び、新たな衣服を整え、着飾って11月15日を中心に産土神に詣で、親戚友人等を集めて祝宴を開いた様子が『東都歳事記』には、記されています。
しかも髪置き、袴着、帯解きの祝いは、おもに武家階級の行事であり、全国化するのはずっと遅く、各地の農山漁村で七五三が一般化したのは、戦後といっても過言ではありません。

七五三の芽
とは言え、「髪置き」「袴着」「帯解き」の歴史を見ていきますと、「袴着」の祝いは平安時代から行われていたようです。「着袴(ちゃっこ)」という名称で平安時代の記録が多く確認でき、3歳の男女に行っていました。平安後期には5歳、7歳の例も見られます。これに対し髪を伸ばし始める「髪置き」や、帯を閉め始める「帯解き」は室町時代の記録から見つかっています。
つまり、七五三の芽は平安時代の公家社会で生まれ、室町時代にバリエーションができ、江戸時代に武家社会で定型化。庶民に広まったのは戦後!!ということがわかり、なんと1000年の歳月をかけて今日のカタチになったのですね。そう考えれば、「お決まりのカタチ」など気にしなくていいのかもしれません。その時代時代に合ったカタチで、七五三はスタイルを変えて来ました。今の若いママやパパが、自分たちのスタイルで七五三を祝うこと。それで十分なのですね。

7歳までは神のうち
ただし、ひとつだけ忘れないでほしいことがあります。それは、日本には古来「7歳までは神のうち」という考え方があることです。医療もなく、栄養学もなく、満足な食料もなく不衛生だった時代、幼児期の死亡率はとても高いものでした。だから、7歳くらいまではいつ神様に呼び戻されてしまってもおかしくないよ、という意味なのでしょう。我が子といえど、7歳までは神様からの預かり物なのです。7歳まで丈夫に生きてくれればひと安心。これからは人間として、しっかり教育しなければなりません。親はここからまた気を引き締めるのです。この考え方は公家から武家へ、そして庶民へというようにトップダウンで流れてくる「生活文化」ではなく、庶民に根付いていた「信仰」に近く、7歳に険しい山に登らせたり、8歳を「八つオトナ」と呼ぶ風習が昭和初期まで各地に残っていました。俵万智さんの歌で「七つ前は 神のうちらし男の子 光と話し 落葉と遊ぶ」といのがあります。初冬の神社のひだまりで、夢中になっておしゃべりをしたり落ち葉を集めたりしている子供は、その姿がもはや神様です。日本の神様は怖そうだったり偉そうだったりするだけでなく、時に子供の姿で無邪気に遊んでいるのです。日本人にとって、子供とは何か、神様とは何かが見えてくる歌ですね。そして7つになったら大人として、男として、女としてしっかり躾けること。この思いこそが、本当の七五三なのではないでしょうか。