時空を越えた菓子創りのこころ

ひとこと

私どもの社長室には、初代久兵衛から代々の当主の写真が並んでいます。
私は、毎日その写真と向き合い、先達たちの意を感じつつ社業を進めています。
若い頃は、何も感じずにいたのですが、最近では、何かのパワーを感じる様になってきました。
弊社五代目、現(株)梅林堂 代表取締役会長の栗原儀一も含め、
「オイ、良太、うちのお菓創りとはこうなんだ!!」と言わんばかりのテレパシーを感じるのであります。いやいや、ほんとうです。

ところで、梅林堂には明治の中期頃から二代目寅吉が考案した「荒川さざれ」という卵白を使った菓子があります。非常に素朴な和風メレンゲ菓子です。
梅林堂では、常に次々と新しい菓子を生み出して来ていますが、何千、何万という試作菓子を創造する時にいつも考えるのが、「今、売れている菓子はどの様に創り出されて来たのか」と言う事です。
当然、弊社二代目考案の「荒川さざれ」もどうしてこの様な菓子を創り出すことを思い付いたのだろうかと考えてしまうのです。
二代目寅吉の写真に向って聞いてみましたが、写真ですから無言です・・・・・。

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そんなある時のことです。ヨーロッパから買い集めた大きなダンボール一杯のメレンゲ菓子が社長室にあり、私の視界に入った時、「あっこれか!!」とひらめきました。
二代目寅吉は、代々の言い伝えによると東京の風月堂様に菓子職人として見習いに行っていたそうです。明治初期、東京には既にビスケット、クッキー、パン、チョコレートなどが入国していたそうで、その中にヨーロッパのメレンゲ菓子があっても不思議ではありません。
(二代目寅吉は、そうかこのメレンゲ菓子を見たのだ、食べたのだ!)
メレンゲ菓子は、普通卵白と砂糖、それを泡立たせ焼き上げたものですが、更にそこに小麦粉を入れたものもあります。
当時の東京で、そのメレンゲ菓子を食べておいしさに感動し自分でも創ろうと考えたに違いありません。

しかし、梅林堂「荒川さざれ」は、卵白と砂糖と片栗粉です。
「小麦粉が片栗粉に置き替わる」のはある意味必然だと思います。当時の梅林堂では、小麦粉があまり使われておらず、米の粉か、ばれいしょの粉が主流。手元にある材料を使って創るのが地縁菓子です。
米の粉でも試作してみたのだと思いますが片栗粉の方がさっと口どけが良く食べ易いと考えたのでしょう。

こんなエピソードによって、新しいお菓子創りは、何もないところから全く新しく発想をするのではなく、お手本となるお菓子を「材料の置き換え」や「要素技術の取り替え」により生れて来るものであると気付かせて頂いたのでした。
再び、社長室に戻り二代目の寅吉じいさんに向って「そうなの?」と聞くと「そうだよ、良くわかってくれたね。」と言われたような気がしました。
この新しいお菓子作りに対する考え方や姿勢が、すなわち、梅林堂に息づく「菓子創りのこころ」なのかも知れません。

その「精神」は、時空を越えて伝承されていくのでしょう。
私はそう思っています。