たった一人しかいない自分

ひとこと

『たった一人しかいない自分、
たった一度しかない一生
活かさなければ人間として生きてきた
甲斐がないじゃないか・・・・・。』

これは、作家 山本有三氏作の「路傍の石」の一説です。
全くその通りで、私も生きた甲斐のある人生を送らねばと日々あがいています。
今年60才、還暦を迎えた事もあり、残り少ない人生の中で何を成すべきか“焦り”もあるのでしょうか、その事が日々頭の中にベタベタベタ・・・です。
「どう活かせば良いのか?」こりゃ難問だといつも思っていました。

私は、弊社の専務取締役でもある弟を亡くしました。55才の若さで、「感謝、ありがとう」という言葉を残し、この世を去ってしまったのです。
私は、彼がこの世に生まれ、この世を去るまでの一生をずっとつぶさに見て来ました。
兄ですから当然のことです。
そして、弟の一生は何んであったかを考えてしまうのですが、これも当り前です。
そして、先に述べた(活かさなければ甲斐がない。)という山本有三氏の言葉が頭をよぎります。

弟は、昭和35年に生まれましたが、3才の時、その頃建て替えた菓子屋の住まい兼、工場のボイラーの熱湯で上半身から下半身にかけ大やけどを負いました。両親(弊社5代目儀一、房子。)は可能な限りのすべての手を尽くし、彼は一命を取り止めました。しかしそこから、身体中にぶ厚いケロイドの衣をまとっての人生が始まったのです。詳細は省きますが、それはそれは辛く苦しい日々であったと思います。誰かが替ってあげたくても替われない。解かってあげたくてもほんとの辛さは解らない・・・。
30代の半ば、膝の痛みを訴え診察したところ、C型肝炎が発覚しました。子供の時のやけどの治療の時の輸血により感染したのです。40才になった頃には、顔が黒ずみ体調がすぐれず、療養の日々が続きました。
最終的には喉頭ガンという致命的な症状も加わり、力尽きてしまったのが最期となりました。

私は、(活かさなければ甲斐がない。)という問いかけに対して、弟の人生における答えを求めました。
怪我といくつもの病魔におそわれ耐え抜き、そして生き抜いた弟の生涯。
しかもそれでいながら、ひと当りが良く面倒見が良く温和な性格でいた人・・・。

考えに考えた挙句、その苦しみを全身でしっかり受け止め精一杯生き抜いた弟の人生、弟にしか出来ない価値のあるそして意味のある人生であった。
まさに一大事業を成し自らによって見事に活かされた人生であったと確信したのです。

どんなに辛く苦しくても他人に責任を押し付けてはいけない。
どんなに辛く苦しくてもそれから逃げてはいけない。
自分に与えられた人生は、与えられたその中で全うしなければいけない。
お金を儲けたとか、事業に成功したとか、有名になったとか、人の役に立つとか、それだけが価値のある人生ではない。
目立たなくても与えられた状況の中で、精一杯正しく生き抜くことこそ、華やかな結果をもたらした人生以上に価値のある人生であり、正しく“活かし抜いた”人生なのである。
「与えられた自己の人生を正しく生き抜く」ことが、自己の人生を“活かした”ことになる。
現に、私自身が弟の一生から教えられた訳で、私をはじめ1人でも多くの人たちが、そう思う事になれば彼の人生はより活かされる。
だから、成功者も失敗者も、強い人でも弱い人でも、健常者でもハンデのある人でも、
皆それぞれに「与えられた自己の人生を正しく生き抜く」ことが出来れば、
それはすなわち自己の一生を“活かした”事になる。
そして、皆それぞれが偉業になるのだと思います。

弟よ、ありがとう。
あなたのおかげで素晴らしく価値あることを学ばせてもらいました。
おいしいお菓子を創るため、
お客様に喜んでいただくため、
力一杯の努力をしていこうと思います。